白 夕雨の日記

頭の中の妄想日記。とヨガのこと。

私の個人的なお話③

前回、前々回に引き続き、今回も私の個人的なお話③です。

今回で、締めくくれるよう、言語化したいと思います!笑。

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写真は、全然関係ありませんが、パクチー好きです!笑。

 

さて、、、

養成講座担当するようになったあとの自分は、お仕事も順調に頂くようになり、

こんな自分でも、いつの間にかワークショップ開催のお声掛けをしてもらえるようになったりと、、、

 

、、、一言で言えば

“充実した毎日”というやつを送れるようになっていました。

 

インストラクターデビュー時の、1カ月のヨガで頂ける収入は2万円くらいでしたが、

それがいつの間にか、月50万円超えるようにもなっていました。

おかげさまで、レストランでのバイトは辞めて、

ヨガだけで食べていけるようになりましたし、

自営業なので、それなりに自分の時間も確保できるようになり、

自分の中では、有意義に生きるのには、もはや充分すぎるほどの環境と収入だったので、

これで晴れて、ヨガ就活という目的は成功したということになります。

 

※あっ、前々回でもお話したように、

私はヨガをやりたくてヨガを始めた人ではなく、

次の働き口として、“ヨガインストラクター”を選び、そのためにヨガを始めた人でした。

 

でも、その目的が達成される目前から、

いや多分もっと前からだったと思います。。。

自分は気付いていたんだと思います。

それを達成したしところで、

今の自分にとって、その目的はもはや何の意味も価値もないことを。

 

それ以上に欲しいと思うものができたら、それまで大切だったはずのものも思いも、

簡単にゴミへと変わる。笑。

、、これも、避け難い人の本質の一つなんじゃないかと思います。笑。

 

前回でもお話したように、

自分の世界観や価値観の狭さ、そして器の小ささに自己嫌悪したその瞬間から、

目的は、多分すでにすり替えられていたんだと思います。

 

“ヨガインストラクターとして働く。”

という目的から、

他の世界観や価値観、違う視点でもっとこの世界を見たい知りたいという欲と、

小さすぎる自分の器を広げたいという目的へと。。。

 

自分が見ている世界と、隣の人が見ている世界の色は違って当たり前ですが、

では、他人の世界観や価値観を垣間見るとは、

果たしてどんな感覚でどうゆうことなのだろうか。。。?

 

過去に、

ポーズを上達させたければ練習をやればよかったし、

瞑想をしたいなら、さらにその練習の中で呼吸が苦しいほどに自分自身を追い込めば、

研ぎ澄まされた感覚は自然と瞑想状態へと導いてくれた。

解剖学を知りたければ専門学校へ通えばよかったし、

ヨガ哲学を知りたければ、その権威を持つヨギに師事し、学べばいい。

 

、、、知識や経験の獲得は、さほど難しくはない。

 

でも、その時に気づいたのは、

そうやって勉強や練習を延々と実践し続けたとしても、

結局、それはどこまで行っても、

自分の世界観で作り上げた自分の檻の中にいる。

ということには変わりないと。。。

 

、、ならば、檻の外に出て、

他のあらゆる視点からこの世界を垣間見るためには、?

他人の価値観を理解し、自分と他人の壁をなくすためには、、?

私は今から何を実践すればいいのだろうか。。。?

 

、、、また振り出しに戻ったような気分でもありました。。。

 

単発レッスンやワークショップと違って、

資格講義は、生徒さんと長期間を共に過ごすことになる。

なのに、

その講義を聞いてくれている目の前の生徒さん本人の持つ世界観を何も知らずして、

もっとらしいセリフを並べた自分の講義を、

もしくは、

かいつまんだ他人の知識を振り飾した講義を毎度発表したところで、

それはアウトプットと言えるのだろうか?

 

、、、そもそも、アウトプットとはなんなのだろうか。。。?

(もはや、ここまできたら、思考の迷宮入りですが、、、笑。)

 

でも、私の望むアウトプットは、

少なくとも、

相手を、自分の持つ世界観や価値観に染め上げることではない。

ということだけは確かでした。

 

どんなにヨガを極めようとも、

自分の学んだヨガを一方的に伝え、悠長に語りかけることはできたとしても、

“自分以外の立場に立ち、違う視点から物事を見たり感じたり考察する。”

という実践を一度も練習したことのない私は、

その分野においては誰よりも

初心者でありピカピカの一年生だったのです。

 

でも、物事の全体像を理解するとは、

360度違う視点からその物事を考察することであり、

それが

=物事の本質を知る術。であったことを、

私はちゃんとヨガスクールの哲学講義で先生から学んでいました。

(「群盲象を評す」という哲学のお話を。)

ならば、自分の本質だって、360度直視するためには、

自分以外の客観的視線に立つという実践を何度も何度も繰り返し練習しない限り、

分かりっこなんてない。

主観的立場のみで自分自身を毎日繰り返し生き続ける限り、

自分のことでさえ、死ぬその日まで分かったつもりにしかなれないのです。。。

 

「つもり」では、到底、自己コントロールなんて無理で、

だから、自分の感情にさえ振り回される。

だから、毎日練習してるのにも関わらず、

自分の肉体ですら、自由自在に扱うことができない。

その時、はじめて、

自由に使える時間と環境とお金がいくらあったとしても、

自分は“不自由“なんだ。ということを痛感させられました。

 

ヨガを始めた当初、

海辺でビギニ姿のねーちゃんがヨガのポーズを決めてる光景を

「カッコいい✨」と思い、それを見上げていた私がいて、、、笑。

そして、そう思う私に、

「それはヨガじゃない!真実じゃない!

悟りを開く修行が本来のヨガだ。」だの、、

「ただのエクササイズだっ!」だのと、

丁寧に教えてくれた偉大なるヨガの先生もいて、、、笑笑。

純粋にかっこいいなぁ✨って思っただけなのに、

それを否定された当初の私はいい気分にはなれませんでした。

 

でも、ヨガを徐々に深めていくと、、、

 

今度は、その先生と同じような感情を抱き、

もっともらしい正論を振りかざしては同じことをほざきながら、

ねーちゃんを見下ろしている自分がいてたのです。笑笑。

そんな無責任極まりない自分の愚かな行動に

もはや笑うしかありませんでした。。。

 

感情に手綱を引いてる“つもり”の自分が、

その自分の手綱に見事に振り回されているのがよく分かります。笑。

 

それは、もはや“手綱”とは言わないのかもしれない。

“手錠”といったほうが、

自分の不自由さをこの上なく体現してくれている相応しい単語だとも思いました。笑。

 

では、なぜ、そんな他人の行動一つに心乱され囚われる。

という現象が自分に起こったのか。。。?

 

答えは至ってシンプルで、

いつだって、相手の持つ世界観や価値観を

知らないから。

、、知ろうともしないから。

自分の経験や身につけた知識や情報達で作り上げた自分の世界観の中で、

相手を推し測っていたから。

自分の檻の中に、相手の世界観なんてあるはずもないのに、、、。笑。

まさに、檻の中の囚われ人なわけです。笑笑。

 

、、、こんな簡単なことも分からなかった自分は、改めてバカだとも思います。笑

 

でも、おかげさまで、事あるごとに、

目の前の相手の立場に立つ練習を繰り返し実践することが身に付いて、

 

そして、その練習から得られた恩恵は、、、

 

他者への“憧れ”や“蔑み”の感情とは全く違う、

ビギニ姿のねーちゃん、全然ありやん!ってゆう受け入れの感情と(笑)、

(...そうやって、受け皿を大きくしていくことで、心の器は育つんだと思います。)

 

他の立場から見た自分の行動選択は、必ずしも自分にとって最善だとは限らない。

ということへの実感と、、

(ヨガで怪我する原因は大体これかなとも思います。笑)

 

それを選択する自分の感情の裏に隠されたもう一つの思いの直視。

が、少しだけできるようになりました。

 

たとえば、、、

“自分のことを望んでいない場には居たくない。”

という感情があったなら、

そう思うためには、本当は、

 

“周りから望まれる人間で在りたい。”

と願うもう一つの思いがすでに存在しているからですし、

 

自分を偽ってまで“何か”を成そうとしているであれば、

それはもうすでに、その“何か”の奴隷となり、染められ囚われている自分がいるから。

 

、、、という具合に。

 

でなければ、その感情や行動は、そもそも生まれないし成立しない。

 

 

なんてたって、双方あっての本質ですから。

主観と客観、表裏一体ってやつですね。

自分の本質の手がかりも、そうやって紐解くんだと思います。

 

そして、自分でも、ヨガでも、何でもそうですが、

それらの中にある本質を理解し、自由自在にコントロールする方法は、

やはり、限りなく自然体の自分でいること。

 

身につけた知識や価値観、経験を介して、他人や自分を観ることも必要ですが、

 

でも、それは先入観を生むかもしれない、、、。

 

だから、それらを介さずに、

何にもない自然体の自分で、自分自身や他人、ヨガや仕事に趣味とかetc...

自分の生きる世界を観ることも等しく必要。

 

そうすることでしか得られないことが沢山ある。

 

そして、

表と裏、360度の全てを観れるようになったら、

あとはコントロールするのに、そう時間はかからないと思います^ ^

 

今思えば、それを実感できたのが、一番の恩恵だったとも思います^ ^

 

 

そんなこんなで、今に至るのですが、

もちろん今でも、正直、自分の本質ですらわからん部分沢山あります。笑。

 

なので、ヨガの本質を実感するなんて、まだまだできるはずがなく、、( ̄▽ ̄;)

 

そのために今日も練習に励みたいと思います💪

 

 

 

               、、、終わり。

 

 

超絶長文を、最後まで読んで頂き、大変にありがとうございました‼︎

 

今回で締めくくれて良かったです!笑。

 

また、ちょくちょくこんな感じで、ブログ書いていきたいと思いますので、

今後とも、どうぞ宜しくお願いします^ ^

 

ではでは、また次回まで^ ^