白 夕雨の日記

頭の中の妄想日記。とヨガのこと。

現実と幻。

今日は、“現実”と“幻”の世界について書きたいと思います^ ^

 

ヨガ哲学でも、

私達が生きているこの世界は“幻”(=マーヤ)である。

という定義から全てが始まっています。

 

現実と幻の境界線をどう定めるか?など、

人の持つ思想によって違うものですが、

その境界線の定め方の一つを、今日はお話ししたいと思います^ ^

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、、、ということで、

早速、今回は最初から少し小難しい話になっちゃいますが、

私達人間が、この世の事象を理解したり、言葉に置き換えるには、

その事柄を分け示す枠組みが必要となります。

それが“境界線”となります。

でも、その境界線という狭間は、観察すればするほどに、

実に曖昧なものでもあったりします。

 

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例えば、、、

正義と悪の境界線、

本音と建前の境界線、

自分と他人の境界線…etc.

 

正義と悪の線引きは、守りたいものによって変わるし、

言った言葉の一つ一つが建前なのか?本音なのか?

再確認すると、言った本人でもどちらのていで言ったかだなんて、

さらに曖昧だったりするものです。笑。

もちろん、自分と他人は違うものですが、

“共感”という感覚は、その境界線ですら曖昧にさせる。

限りなく黒に近い白と、限りなく白に近い黒の境界線など、

もはや線引きのしようがない。。。

 

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このように私達人間が、その物事を認識するために線引きした境界線は、

とても曖昧で未確実なものの一つで、

本当はあってないようなものでもあります。

 

でも、自分が、自分に線引きした枠組みの境界線を認識し観察することは、

自分が見ている世界のどこからどこまでが現実、もしくは幻なのか? 

その答えを提示してくれますし、

また、人の精神とは、

その自分が作った境界線の中から外に出ることで、

はじめて成長をするものだとも思います。

 

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自分の作った“限界”という境界線を超えること

それが、人の成長です。

現実という世界は、その境界線の外のこと指し示し、

また、とは、その境界線の中のことを言うのではないでしょうか。

 

何故なら、私達人間は、

誰しもが得た知識や情報、または自分の作った枠組みや経験に頼り、

それらに縛られて生きています。

そして、それを“現実”と呼んで疑わない、、、。

 

でも、果たして、本当にそれは“現実”と言えるのでしょうか?

人の心は見たいものを見ますし、思いたいことを思います。

不都合な現実の前では、都合のいい解釈で事実をすり替えたくもなるし、

あるいは、それに蓋をしたくもなるものです。

そうやってすり替えられた世界を、幻の世界と言いますし、

あるいは人の作った“エゴの世界”とも言うのでしょう。

 

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それをヨガのあるあるに例えて言うなら、、、

練習不足という現実を、練習以外の方法にすり替え補うことは、

幻でしかありませんよね。

練習不足は練習することでしか現実は変えられません。

 

カッコいい応用アーサナを可能にするための基礎練習、、

という地味〜な現実だって、やはり基礎を練習することでしか、

それは可能にはならないのです。

 

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もちろん、どんなものも基礎練習ほど地味なものはなければ、

面白くないと感じるものもないのかもしれません。

 

インスタ映えだって、、、

                            、、、  もちろんしません。。。(笑)。

 

でも、そもそも基礎はそのためのものではないことは、誰にだってわかる。

 

本来、地味な作業を淡々と繰り返す基礎練習とは、

=心を空っぽにするための作業であり、

                             無心になるための準備そのもの。

、、、であるはずですよね。

 

後に待ち受ける応用アーサナや新しいことを習得するための空のスペースは、

そうやって自分で作り、掴みとっていくものなのです。

 

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だから、 付け焼き刃のアーサナほど脆いものはなく、

そして、それは同時に、自分の心の脆さの象徴そのものとなる。

 

このように、自分の心に映っている世界が現実なのか?

もしくはすり替えられた幻なのか?は、

“心”の器である自分の“身体”の示す行動で分かるものです。

なので、何かにすり替えた瞬間に、

心に移る世界は全て幻と化することを、忘れないようにしましょう^ ^

 

もちろん、違うものにすり替えたり、

目の前の現実から逃げることはダメなことではありません。

何故なら、心とは、そもそも揺れ動くものです。

だから、現実で痛い思いをして、幻の中に揺れ動くことは、

しごく自然なことで、決しては悪いことではありません。

大切なのは、

痛みのない幻の世界は人を成長させやしない。

ということを知ることです。

 

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私達は、

自分の作った既成の枠組みや“理想”という小さな幻の世界と、

その外側に広がる“今”という大きな現実の世界の両方を行き来することで、

少しずつ自分の作った枠組みを押し広げて、

成長をする生き物です。

 

理想の世界こそ広く、

現実は窮屈なものだと思う人も中にはいるかもしれませんが、

実際は逆で、

人の認識の中に収まることのできる理想郷ほど小さいものはなく、

現実というこの宇宙ほど広いものはないのが事実です。

 

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そして、そうやって、一つのことを突き詰めながら成長をしていくと、

いつか必ず矛盾点や壁に出会います。

その“矛盾”と“限界”こそが、

幻の世界の中にしか存在しないものの象徴ではありますが、

それは同時に、自分の作った“限界”の外に出るタイミングでもあることを示唆しています。

“現実”という私達の生きるこの壮大な宇宙には、

限界や矛盾などといったものは、どこにも存在はしませんから。

 

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人の魂は、束縛を嫌うものです。

枠組みの中に押し込めようとするほどに、その枠組みの外に出たくなる。

外の世界には、その先には果たして、一体何があるのだろうか。。。

という思いは、自分の意思とは関係なく、湧いてくる。

それを好奇心と言います。

そして、その好奇心こそが、人の成長の糧になる素粒子のようなものだと思います。

 

なので、もし、

歳を重ねていくほどに、逆に好奇心は減っていってるなぁ〜。

という矛盾を感じたら、このお話を思い起こしてみてください^ ^

もしかしたら、何かのヒントになるかもしれません^_^

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