白 夕雨の日記

頭の中の妄想日記。とヨガのこと。

ここは相対性の世界。

ここは相対性の世界です。

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喜びの裏には悲しみがあって、

光を認識できるのは闇があるから。

男性がいるから自分が女性であることを理解できるし、

愛の裏にはちゃんと憎しみが見え隠れもしてます。

付き合てのラブラブカップルも10年経てば、

相手が家にいるだけで

チッと舌を打ちたくなる時も出てきます( ̄▽ ̄)笑。

愛がちゃんと憎しみに裏返った瞬間とゆうやつですね。笑。

 

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ここは、対比させることで

はじめてそのものの価値がわかる世界。─────

 

では、平和の反対はなんでしょう?

答えは、、、、戦争ですよね。

 

以前、行き詰まっていた時にこんなお話をして下さった方がいました。

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求めていたものが中々実らず、

その答えが知りたくてありとあらゆるツールに手を出しては調べまくっていた時期がありました。

そんな時に尊敬するその方から、こんな問いをされました。

 

     “平和の大切さは何によって定義されるのか?

 

この問いの答えは、戦争の悲惨さです。

とても簡単な問題でした。

でもその答えの奥にはもう一つの答えがありました。

今日はそのお話をしたいと思います。

 

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平和の反対は戦争です。

平和の大切さは、戦争の悲惨さがあってはじめて意味を成します。

争いがあるが故に、平和であることの価値が生まれるのです。

 

では、仮に、

今までに一切の争いごとも戦争も経験していない平和な場所があったとします。

当然、そこに住む人たちは戦争の悲惨さを

経験していないので、平和の大切さが分かりません。

 

そんな平和村に出かけて行って、

そこに住む人々に平和の大切さを力説したとしましょう。

どんなに平和の大切さを説いたところで、、

戦争の悲惨さを経験していない平和村の人からすると、

「それって、普通じゃない??

              ……当たり前なことじゃないの?」

っていうくらいのことにしか分かってはもらえないでしょう。

 

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本当に平和な世界というのは、

“平和”という言葉は価値どころか意味すら持たない。

大切なものは当たり前の中にこそある。

とよく言われますが、そのことがよく分かる例です。

 

だから、人々が平和を唱えるとき、同時にその裏には

必ずその反対の概念である”戦争の悲惨さ”が

存在することになります。 

それが私達の住む相対性の世界の特徴です。

 

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では、真の平和はどうすればもたらされるのでしょう?

…答えはとてもシンプルですよね。

 

平和村の人達のように、戦争の悲惨さを知らなければいいんです。

戦争の悲惨さを知っている私達にとってそれは、、、

=“忘れる”ということを指します。

 

争いごとや戦争の悲惨さに対して、

人々が無関心になった時、

はじめてそこは真の平和な世界となるはずです。

 

なのに、この悲惨さを忘れてはいけない…て、

毎年夏になると原爆の映像が流れます。

忘れてしまったほうが楽って知ってるはずなのに…。

忘れてはいけないことがまるで正義であるかのように。

 

平和に貢献すると言って、

平和を叫びながらプラカードを掲げて行進する姿は

真に平和と言えるでしょうか?

 

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そのよう行為の結果としてもたらされる平和は、

決して真の平和とは言えないはずです。

これが、地上から争いごとが根本的になくならない

とてもシンプルな理由。

結果的に、

戦争の悲惨さが人々の意識の中から消えないからです。

 

少し酷な言い方になりますが、

過去にこだわり、他人の痛みにこだわり続けた先にある平和の在り方には限界があります。

それで報いられると思うのなら、それは一つの奢りなのでしょう。

 

それよりも、一人一人が、自分の心の平和を掻き乱してまで、そのことに取り組まない。

という手放す選択をみんながすれば、

世界は一瞬にして平和になるでしょう。

 

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本当に平和な人達の生き方というのは、

自分の心の平安を1番大切にします。

それが、自他共に傷付かない方法であることを本質として知っているからです。

ヨガで言うアヒンサーの在り方そのものですね。

 

平和な世界をもたらすには、先ず己れ自身が平和であれ…。

ということです。

これが、尊敬するその方から教わったお話でした。

…自分のこだわりのちっこさに、どうでもよくなった瞬間でもありました。( ̄▽ ̄;)笑

 

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人は、誰だって自分のこだわりを持っています。

 

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ヨガのポーズの完成形を例の一つにとってみても、

練習を積み、経験を重ねていくほどに、

そのこだわりはやがて、

“信じて疑うことのない信念”へと変化していきます。

ただ、その信念は、果たして本当にそんなに

                     大切なことなのでしょうか?──────

 

“平和の大切さ”

↑とても清く聞こえるこの思想。

でもその原因になったのは“戦争の悲惨さ”ですよね。

ならば、

“疑うことを知らない信念”

の裏に見え隠れしているのは

「これは、こうであるべきだ!」

、、、とこだわる“自分の固定概念”です。

ここは相対性の世界。

原因と結果、作用反作用の世界ですから…。

 

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真の平和を体現している場ほど、

“平和の大切さ”など何の意味もなさないように、

いつか、その信念も

「もう自分には必要ないなぁー。」

…と、自然に思えるようになったら、

それがポーズの完成であり、ヨガのゴールなんだと思います。

 

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そしたら、この猫ちゃん↑のように、

当たり前に、どんなポーズも楽にとれるようになっているのでしょう。笑。